今回は本「意識は傍観者である」を紹介します。
タイトルのとおり、わたしたちの意識がどんなものなのかについて解説したものなんですが、刺激的な内容が盛りだくさんでした。
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意識とは何なのか
本はこちら。
意識は傍観者である: 脳の知られざる営み (ハヤカワ・ポピュラーサイエンス) デイヴィッド・イーグルマン 早川書房 2012-04-06
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書いているのはアメリカの神経科学者、デイビッド・イーグルマン。
事故などで脳を損傷したり、脳腫瘍などの病気になったり、てんかんの治療のために脳の一部を切除したというように、脳に何らかの変化があった人の分析や、さまざまな実験結果から、わたしたちの意識はどんなものなのかを説明してくれています。
翻訳書なのもあり、読みにくいところもありますが、おどろく内容が書かれていました。
わたしたちは何によって操作されているのか
この本では、人間の脳のはたらきを合議制の会議にたとえています。
たとえばある分かれ道を右に行くか左に行くか迷って、左を選んだ場合、脳の中では右に行くべきだという機能単位(サブルーチン)と左に行くべきだというサブルーチンがどちらも正しいという主張をします。
ここでサブルーチン間の多数決により、最終的に左に行くという選択がされるのです。
そしておどろくべきことに、この段階に意識はまったく関与していません。
考えるより早く体が動く
別の実験で、腕を上にあげるときの神経の電気信号を測ったものがあります。
腕をあげるときに運動神経が発火するのはもちろんなのですが、びっくりなのがそのタイミング。
腕を動かそうと意識するよりも前に発火しているのです。
先ほどのモジュールの結果と合わせると、意識はサブルーチンたちが出した結論を後づけで認知して、それをまるで自由意志であるかのように思ってしまうのです。
意識は傍観者
もちろんすべての思考や行動で同じようなことが成り立つかどうかは分かりませんが、仮にそうだとした場合、自分の意識は何にも影響していないということになります。
「意識とは傍観者である」というこの本のタイトルはこれを表現したことばなのです。
まとめ
たとえば自転車に乗るときにも、無意識にやっていることがものすごくたくさんあるのは知っていましたが、意識してやっていることさえも無意識がやったことを後づけで理解しているだけだということが分かりました。
だとすると、自分がふだんやっていることも無意識が決めてしまっているんだから、それをあれこれ思い悩んでも意味がないことになります。
自分が考えている自分というものが何なのか、すっかり分からなくなってしまいました。
まだ混乱していますが、しばらく混乱しながら考えてみようと思います。
意識は傍観者である: 脳の知られざる営み (ハヤカワ・ポピュラーサイエンス) デイヴィッド・イーグルマン 早川書房 2012-04-06
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この記事はSLPRO X for iPhoneを使って書きました。